図書刊行のご案内

 このたび、下記の図書を刊行いたしましたので、この場を借りて宣伝させていただきます。
・書 名 関西の公共事業・土木遺産探訪 <第4集>
・著 者 坂下 泰幸
・価 格 1,600円+税(160円) 合計 1,760円
・サイズ A5版、本文201頁
I SBNコード 978-4-89467-445-5
 高島市海津を扱った「石積みとともに紡ぐ水辺の暮らし」や京都市の鴨川を扱った「災害復旧から生まれた鴨川の景観」など、本研究会に関連する内容も多少は含まれております。
※関西地区では、国立国会図書館関西館・京都府立図書館・京都市立中央図書館・京都歴彩館・大阪府立中央/中ノ島図書館・大阪市立中央図書館・堺市立中央図書館・神戸市立中央図書館に配備しておりますので閲覧いただけます。
※本書は一般の書店では扱っておりません。購入ご希望の方は、阪神高速先進技術研究所(https://www.hit.or.jp/books/)にお申し込みください。
(坂下)

「心中天の網島」に見る大阪キタ付近の川と橋

 近松門左衛門の代表作「心中天の網島」は、享保5年(1720年)12月に初演された人形浄瑠璃の傑作で大阪堂島新地の遊女小春と紙屋治兵衛の心中を描いたものである。最後の堂島新地の太和屋を出て北の橋と川を辿りながら網島にある大長寺で心中に至るが、この道行が圧巻である。
 夜更けて太和屋を抜け出た小春と治兵衛は、桜橋から蜆川沿いに東へ進んでいく。蜆川は今は埋め立てられているが、ちょうど新地本通りがその上に作られている。蜆橋、難波小橋あたりで堂島川に出る。近くにはその頃からあった大江橋が見える。堂島川右岸に沿って東に進み、難波橋、堀川の橋を経て天神橋の北詰めに至る。ここで二人は桜橋の向こう、西側にある緑橋や梅田橋も含め今来し道、橋、川を振り返り、涙にくれるのであった。天神橋を南にわたり、大川左岸を東に進み、天満橋を経て京橋、御成橋を北に渡り、網島にある大長寺にたどり着くのである。堂島新地から約3.5kmの道行であった。勿論この頃は天下の台所として大阪の街は活気にあふれ、この道行のルート沿いも大店をはじめ、商人、庶民で活気にあふれていただろう、などと思い描きながら歩いてみるのもたまにはいいものではなかろうか。

 心中天の網島 道行ルートの概略図(国土地理院「地理院地図」に加筆)
(今中利信)

温故知新

水と光のまちづくり推進会議(2011)会議資料
 本研究会の立ち上げにあたり、これからの「水辺空間と都市再生」について活動のあり方を考えるにあたり、過去の活動のきっかけ(2011年頃)はどのようなものであったかを思い起こしてみました。下記に、ある時期でのその文章を紹介します(一部割愛・修正)。再度読み返してみますと、現在でも色あせることがないと感じていますので、今回の研究会を立ち上げるスタートとして、あえてご紹介させて頂きます。 

 『わが国において、高度経済成長と共に人口が集中し拡大・成長してきた都市空間は、21世紀に入りさらに都市機能を増大させながら、地球的規模での環境変化や自然災害の甚大化といった従来には経験しなかった諸問題に直面しています。一方で、成熟した都市空間には、求められる環境変化への対応を図りつつ、安全・安心な生活が確保でき、その上で都市機能をさらに高度化・活性化可能な持続型インフラ整備が期待されています。しかし、そのような「新たな都市空間の創生」には、地域特有の地勢や自然環境、社会活動等が密接に関わっており、多様性を踏まえた様々な再構築が必要と考えています。
 このたび開始するテーマの「大阪の都市空間創生とインフラ再構築」では、新たな都市空間の創生を考える上で、古代の交通の要としてまた中世以降商人が都市活動の担い手として発展してきた「あきんどの町」としての歴史をもつ大阪を事例として、調査・研究を進めます。従来から、大阪は水辺空間を上手く活用しながらインフラ整備を進めてきた歴史を持ち、都市機能を持続させてきました。
 本研究会は、環境・防災・都市づくりなど様々な分野に携わっている委員で構成され、それぞれ 分野の歴史的経緯を整理するとともに、各分野での最新技術を紹介し、今後の活用などについてもまとめるものであります。また、さらに関西圏の要である大阪におけるインフラ整備のあり方を提言するとともに、関西地域のインフラ整備との今後のあり方についてもまとめるものです。 このように様々な分野におけるインフラについて、水辺空間を活用した大阪および関西圏における望ましい整備のあり方においてご参考にして頂ければ幸いです。』     
(2022.1.20:会長/中野雅弘)

鴨川の水鳥

 朝はジョギング、昼は子どもたちの遊び、夕方は犬の散歩、夜はカップルの語らいと、市民の憩いのスポットとして親しまれている京都の鴨川。その鴨川のあり方の基本は、まちが自然と上手に調和していると実感できることにあります。
 これを1,000年の古都のシンボルのように言う人もいますが、鴨川がこのように親しまれる川になったのは歴史的にはさほど古いことではありません。もとの鴨川は洪水を繰り返す荒々しい川だったのです。平安遷都(794年)から30年後の天長元(824)年には、鴨川の堤防を守る「防鴨河使(ぼうかし)」という役職が設けられ、洪水防御に当たっています。しかし、当時の治水技術では充分な成果を収められなかったようで、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」(「平家物語」)と、
低水路の緩傾斜護岸と巻天端処
理された法肩
天下三不如意の第一に鴨川の水をあげたことはよく知られています。
 現在の鴨川の風情を形成しているのは、昭和10(1935)年の洪水からの復旧において採用された、人工性を感じさせない一貫したデザインコンセプトの存在であると言えましょう。災害復旧に当たって、京都府は、「鴨川改修ニ関スル稟議書」において、「風致維持ノ関係上相当ノ考慮ヲ必要トシ例ヘバ工事材料ニ於テモ混凝土ヲ露出セシメザル様特別ノ方法ニ依等ザルベカラザル等ノ事情」があると述べ、コンクリートの表面に玉石張や割石練積みを採用すると主張しています。しかも、法面と天端との間にエッジを設けない"巻天端"を採用しました。鴨川はその後も時代の要請に応じた整備が続けられていますが、このデザインコンセプトは確実に継承されてきました。河川管理者である京都府の永年の努力を顕彰して、令和元(2019)年度に土木学会選奨土木遺産に
例年になく繁殖している鴨川の水鳥
認定されました。
 さらに、二条より北は川幅に余裕があるので、低水路には中州ができています。ここは魚類や鳥類の繁殖に好都合な環境を提供しています。私は高水敷きの遊歩道から生き物を観察しながら散歩しているのですが、今年は水鳥がすごく多いように思います。こんなに密集しているのはこれまで見たことがありません。どうしたのでしょう。鴨川の生態が改善しているのなら良いのですが、琵琶湖の水位低下など他の要因が絡んでいるのではないかという危惧も感じられます。とは言え、せっかく鴨川で育っている鳥たちですから、来春にはさらに繁殖してほしいと願わざるを得ません。
(坂下)

 ○C  関西の水辺空間と都市再生研究会
 ※ 本会へのご連絡は info@mizube-lab.academy.jp までお願いします。